資格強化月間

今日から資格強化月間と言うことにしてみる。
コンピュータの資格では情報処理第一種 初級シスアド MCP 070-210 を大学卒業までにとって
そのあとはCCNAを取って先月頭に賞味期限が切れた。

まずは(比較的)簡単で受験料も安い資格を取ってみる。明後日はMCAプラットフォームの受験の予定だ。
そんなこんなで今試験対策本を買いに行っているところ。
MCP系と比べるとワールドワイドじゃないところが気になるけれど海外でコンピュータの資格うんぬんするシチュエーションは想定してないし、MCAマスターになるにはDBや開発といった畑違いの事もやらないといけないので、広く浅く的な強化としては悪くないと思う。
なんだか昔からだが、一つの行動をするのにかなりの言い訳と言うか、理屈を必要とするなあ。まあ資格とか本質的に必要でない業界に生活しているから、お金や時間を出すためには論理武装が要るのだろうか。

前から目星を付けていたFOM出版のM10-200対策本を買ってきた。FOM出版って公開講座のTAしていたとき以来だ。しかも今度は利用者の立場で。
ヨドバシで買ってきたけれどソースを公開してないソフトウェアを購入するきになれなかった。病気かも知れないし、すでに人生のコンピュータ関連支出における、ソフトウェア費用累計が定量に達しており、もうフォント集とかのデータものかハードウェアが付属するもの(シリアルケーブル一本でもよい)でないと買えないのかもしれない。それどころかソースが入手できないソフトウェアを使うことさえ忍耐力を要するというのは、フリーソフトウエアというものを知るがゆえの不自由なのだろうか。

それはそれとして、前から分かっていた、よくない自分の傾向として「なにかを行ったときに得られるもの」よりも「それをおこなうにあたり対するものとの関係性」を比較的重く見てしまうということが今回もでている事に気が付いた。今回の例は「MCAを取った結果得られるもの」より、「MSKKや出版社の資格ビジネスに貢献してしまう。」ということの方が気になると言うことだ。こういう自意識過剰とも言える態度は20代ももうすぐ終ろうと言う昨今、すこし弱くしたほうがいいのかなとも思う。

あと資格にかぎらず「人からどう思われるのかが大事」と言うひともいるがそれをひっくるめても「自分がどう思うか?」と言うのはオナジぐらい大切だと思う。資格に限らず何らかのシンボル化やラベリングを行う際には非言語的、もしくは言語的なニュアンスが欠落したり、付与されたりする。もしなんらかの状態(例えば今回はコンピュータのスキル)についてラベリングを行う(MCA取得)際にはそれが不可逆な変換を時に意味することに気が付いていない人は多いと思う。(何の話かとりとめがなくなったが開発手法に名前をつけすぎるのはどうだろうか?というはなしだったり)