近況

電車で通勤する一時間のうち半分ぐらいをJF読みにあてている。この文書集に限らず、一つの文書からいくつものことが読める(もしくは妄想できる)と思う。JFの場合原本はLDPからのものが多いけれど翻訳されていると言うことは「日本語が書ける人で興味を持った人がいる(文書だ)。」ということだろうし、ソフトウェア同士には(実質的でなくとも形式的に)競合しているものもあるので、その競合ソフトの作者や信奉者に配慮した表現になることもあるだろう。また別の例では雑誌なんかにはスポンサーがついているけれど通常スポンサーにとって都合の悪いことは書かない。でも、ライタがま逆のことや違う主張を持っていれば一つぐらいはその想いを書き込んできていてくれていることが多く、勘違いして別の読みになる可能性もあるがなにかしら(本当に言いたいことが)読み取れるかもしれない。製品マニュアルにしてもそうで、エンジニアや作成者が本意ではないのに完成度が低い箇所を混ぜてしまったなら、そこをさりげなく、マニュアルで限定的につかえる範囲を柔らかく書いているかもしれない。それ以前に、「○○社のどこどこ部門のソフトはソフトウェアの作成者とマニュアルの作成者が乖離している。それ以前にユーザ不在だ。」とかわかりやすいことも読めたりする(もちろん逆に良い場合もある。)。何らかのニュースについてのコメントであれば、当然、ニュースの内容を素直に反映したコメントになっているか気になるし。そもそも素直な反映ってなんなのか? ちょっとズルズル感があるけどもうちょい続けると人の作成したコンポーネントやソースにしても同じことが言える。と思う。どういう文脈で使われることを想定して作られたのか?をどう読み取るのかって話題になると思う。だからなんだというわけでもなく、朝からJFを読むことについてのいいわけでしかない。でもそろそろJF以外のものを読みたくなってきた。

近況 2

そういや、はてなブックマークも最近使い始めた。
出始めに試したときには順番が自由に変えられないというだけでなく、freshmeatの気に入ったものをブックマークして言ったのが悪かったせいか、ソーシャルブックマーク特有の

  1. ブックマークを通じて他の人々の意見を読んだりできて、
  2. 人々とつながってる感 を味わえる。

というのは全然無かった記憶がある。むしろ山ほど1Userなブックマークができて

  • 世界の人々と自分とは(オンライン上、少なくともはてな上では)希薄な接点しかないな。

という当たり前の現状認識ができたものだった。(もちろん、LinuxやらBSDやらGCCやらqmailやらオンライン上に公開されているものの恩恵は常に受けているけれど。)
最近はというと、「結構ブックマークしてありそうなページ」をえいやっ!とブックマークしてみて3Userとか出てくると拍手!!みたいな遊びができるようにはなったと思う。(それはユーザの絶対数の問題じゃなくて私のブックマークしているページの質的な問題だと思うけれど。)
というか、個人的には、ひとがブックマークしているページってその人のところからたどれるからあんまブックマークする気になれない。その上、みんな似たようなコメントになっていたりしてまるで示し合わせているかのよう。。それともそういう使い方なのかな?人のブックマークからよさそうなものをチョイスして、似たようなコメントをつけて自分のブックマークに入れる。。すると自分の見たサイトの感想が時系列で自分のサイトに並ぶ。まー私は私で好きなように使えばよいか。ただ、私の場合、ブックマークをUSBのメディアで持ち歩いた場合とあんま利便性変わらない気もしたけれど。あ、お気に入り機能は、驚くほどの勢いでブックマークしていく人たちを何人か登録しておくと、結構暇つぶし的ニュースを読める。けど暇つぶししたいときばかりじゃないしな、人生。
http://b.hatena.ne.jp/korin